誰しも美しい十代には一度、アルチュール・ランボオの詩に出会うことになる、と思ったもの。
でも、初めて買った書物は、ドストイエフスキイの『罪と罰』だった。
すぐにそのあと、ハイネやバイロンの恋愛詩に少年期の私は酔いしれた。
しかし、気がつくとランボオの『地獄の季節』の頁をめくっていた。
ー そんなことを懐かしく思い出している。
ドイツ最古の町トリアから、アール・ヌーヴォの町ナンシーに引越して間もなく、
ナンシー国際映画祭短篇コペティション部門の審査員を引き受けることになった。
その映画祭の関連事業で、今年は市立ギャラリーで個展の誘いをいただいた。
先の予定のない私にとって、何よりも有難い話しだった。
太宰治の小説ではないが、夏の浴衣の反物をを貰ったので、何とか夏迄は生き延びよう、との心境に近い。
そんな訳で、さてさてどうしよう、と戸惑う。
昨年の初秋に、体調を崩し、うつむいて集中する作業が困難なので、
未だに未編集の映画『イリュミナシオン』のために撮った写真を素材に
ランボオの詩句を書き入れた手製彩色絵葉書とポスター、全作品を揃えて展示することにした。
映画の方もそろそろ編集に入りたいと思っていたところだったので、
展覧会場の地下で上映するのもいいな、と少々ワクワクしたところだった。
が、しかし、この災難がやってきた。
どこを見ても、聞いても、新型コロナウイルス。
晴れた日の散歩以外は、巣ごもり。
退屈な日々のなかで、カルジャが撮影した、あとひと月で十七歳になるランボオの肖像写真を見ながら、
4Bの鉛筆を使い、ランボオの十一歳を想定して描いた。
そこで、もうひとつ。ヴェルレーヌと連れ立って歩いていた女装のランボオのエピソードを思い出し、
十一歳の少女ランボオを描きあげた。
もちろん、そんな写真など存在しない。
髪型と衣服、どうしようか。
その時代の参考になるものはないか、すいぶん本をめくったが、無い。
偶然にもみつけた、リリアン・ギッシュの若い時分のパスポート写真。
この衣服はよい!
少年のようにも見える感じが欲しく、髪型をあれこれ試行錯誤。
出来た、と思いつつも繰り返し直しては、苦しみ、あがき、仕上げた。
いったい、8月末から一週間予定されている個展はどうなるのか、
渡仏の日取りも見えないし、わからない。
前途がわからない、ということは当たり前だと思ってきたが、
かくも不安になることを痛感する毎日である。