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山田勇男

ヤマヴィカ映画史18


(写真:ジャン・コクトー『詩人の血』(1932)より)

自主上映を観ていくと、映画館で普段なかなか上映されないものや、

絶対上映されにくい(されない、と言ったほうがいいか)

いろいろな映画に出会った。

ダリとブニエルの『アンダルシアの犬』、

マヤ・デレン『午後の編目』、

ケネス・アンガー『スコルピオ・ライジング』、

ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』、

カワレロヴィッチ『夜行列車』、

ジャン・コクトー『詩人の血』、

アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』、

タルコフスキー『ローラとヴァイオリン』

吉田喜重『エロス+虐殺』、

大島渚 『新宿泥棒日記』、

鈴木清順 『けんかえれじい』、

・・・まだまだ、あるある、キリが無い。

そして、実験映画、個人映画もずいぶんと見た。

デレク・ジャーマンの初期作品も見た。

『ラスト・オブ・イングランド』は、

8ミリで撮影し、ビデオに変換、

さらに35ミリフィルムに焼いた自由さに感嘆させられた。

10代後半から今まで辿ってみると、

商業映画よりも、それら大衆性に乏しいもののなかにこそ、

我が偏愛映画が多かったように思う。

たとえば、

エリック・ ロメールの『クレールの膝』は、

タイトルだけで歓喜した。

映画のなかで、

どこが好きなところか、

どう見せているのか、

何を見ているのか、

よく解ってきて嬉しくなる。

そして、教わった気がする。

派手さはないが、静かで、物事のひとつの核心を表現している。

あれは良かった。

★(続)


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