(写真:ジャン・コクトー『詩人の血』(1932)より)
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自主上映を観ていくと、映画館で普段なかなか上映されないものや、
絶対上映されにくい(されない、と言ったほうがいいか)
いろいろな映画に出会った。
ダリとブニエルの『アンダルシアの犬』、
マヤ・デレン『午後の編目』、
ケネス・アンガー『スコルピオ・ライジング』、
ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』、
カワレロヴィッチ『夜行列車』、
ジャン・コクトー『詩人の血』、
アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』、
タルコフスキー『ローラとヴァイオリン』
吉田喜重『エロス+虐殺』、
大島渚 『新宿泥棒日記』、
鈴木清順 『けんかえれじい』、
・・・まだまだ、あるある、キリが無い。
そして、実験映画、個人映画もずいぶんと見た。
デレク・ジャーマンの初期作品も見た。
『ラスト・オブ・イングランド』は、
8ミリで撮影し、ビデオに変換、
さらに35ミリフィルムに焼いた自由さに感嘆させられた。
10代後半から今まで辿ってみると、
商業映画よりも、それら大衆性に乏しいもののなかにこそ、
我が偏愛映画が多かったように思う。
たとえば、
エリック・ ロメールの『クレールの膝』は、
タイトルだけで歓喜した。
映画のなかで、
どこが好きなところか、
どう見せているのか、
何を見ているのか、
よく解ってきて嬉しくなる。
そして、教わった気がする。
派手さはないが、静かで、物事のひとつの核心を表現している。
あれは良かった。
★(続)