(写真:リヨンのリュミエール記念館、2015年12月)
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2001年3月。
「日本実験映画フランス・ドイツ・スイス巡回上映」のとき、
フランスだけ招待してくれ、パリとブザンソンを訪ねた。
ブザンソンを散策していた時に偶然、広場の角にある建物に、
リュミエール兄弟の顔をレリーフしたプレートが貼ってあった。
生まれたところだった。
フィルムスケッチをしながら空を見ると、
雲のすき間から光がいたづらっぽくペロッと舌を出したように見えた。
いつも影ばかり撮っている「私」には微笑をかけてくれたような気にさせる。
リュミエールとイリュミナシオン。
そこで、この語呂合わせのようなイメージが思い浮かんだ。
リュミエールが暮らし、最初の映画を撮ったリヨンの旧市街の石畳を歩きながら、
もうひとりの他者であるアルチユール・ランボオが想起された。
「映画」の終わり、「私」が消える。
そこに方法と本質をみつけた。
「そうだ、またエチュードをはじめよう」(『イリュミナシオン』「青年時ー日曜日」ランボオ)
いつも出発のくり返しがある。
★(続)