(写真:リヨン 夜のローヌ川(2015年12月))
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三度目の正直という云い草がある。
前近代的だといわれながらも、相変わらず8ミリフィルムで撮っている。
青いセンチメンタリズムかも知れぬ。
フィルムの死が先か、「私」の死が先か、という状況にある。
ここ、ドイツにおいてもフィルムの現像所はベルリンに一カ所あるだけ。
しかし、昨年の秋にはカラー現像がなくなり、紹介されたオランダでは、
現像から発送までたったひとりの現像所である。
フィルム代も莫迦値だ。
もう終わりだと諦めながらも、とりあえずの情熱はどこか。
そこには「あきらめの意地」があるだけか。
嗚呼、戀しひフィルム!!!
さて、そんな今、何を撮るべきかと巡らしているうちに、
映画を辿る旅から、「私」の映画史を辿ってもいいのではないかと思った。
先ずは、リュミエール兄弟の映画の聖地でもあるリヨンの町をたずねた。
ところが、廻したフィルムは音だけで、フィルムが廻っていないことに気がづいた。
廻り続けているものだから、えッ?まだ?、と
フタをあけてチェックしても撮り終った表示がない。
フィルムに印を付けて廻したら、なんと廻っていない。
クラッ、ときて、近くのベンチに座り込んだまま、しばらく立ち上がれなかった。
出端がくじかれる思いとはこのことか。
つくづく、「精神」が試されているな、と半泣き、諦め、
苦渋の影がローヌ川沿いのベンチに落ちた。
★(続)